DAY by DAY
全力で適当に生きる
生い立ち

幼少期②

父には愛情たっぷりもらった気がするのだけど…。

父が家を開ける事が多く、フリーの気分を味わっていた母親は、
お店のお客さんと、俗に言う、良い仲になってしまい、結局父に発覚、即離婚となったようです。
父は相手の過失から、親権は自分がもらうと主張し、母親は泣く泣く諦め手放したそうです。
父は信頼していた愛する妻に裏切られ、どんなにショックを受けたことでしょう…

私は母親の血を引いているのだろうか。

母親もどこか、もらわれっ子、という劣等感を感じて育った様だし…

父は、その頃は看板屋では食べていけないということで元の会社に呼ばれ、復帰していました。

親権はもらっても、幼い私をどこかに預けて父のみで生活するのも難しい…と言うことで、私のことは山形の祖母に預け単身赴任をしてました。
週末には主張先や赴任先からお土産を買って帰ってきたりしてくれました。
帰ってくるたびに増えていくおもちゃより、私は絵本を買ってきてもらうのが大好きでした。

父は5人兄妹がいて結婚していない独身組も残っていたため、朝と夜は賑やかでしたが、結局日中は祖母と2人なので絵本が友達。

沢山ある本の中でも特に好きな本は、毎日一日中、飽きることなく眺めていた記憶があります。
父親にも祖母や父の妹弟にも、相当愛されて育った気がします。

その一方で、体や精神を鍛えるために、彼が良い!と思ったことは何でも実践するタイプで、1番嫌な思い出は、卵の殻のみを食べさせられたこと。
カルシウムがたっぷりだから!と言われても、あんなジャリジャリしたもの食べられるわけがない!
不味いよう、食べたくないよぅというようなことを言っても食べなさい!の一点張り!

今なら親心もわかるけど。

あと父がしたことは母親が出てくる絵本には「おかあさん」という文字は黒マジックで消して「お父さん」という書き換えたことかな。
母親を忘れさせるための徹底ぶりでした。
それまで、ママちゃん、パパちゃんと両親を呼んでいたのに、3歳の誕生日の日を境に「おとうさん」って呼びなさい。と訂正させられたことがあったな。
妙に恥ずかしくて、お布団に入りながら頭が混乱しながらも「おとーさん、おとーさん」と練習していた記憶があります。
ついパパちゃ…まで呼んで言い直したりしたっけ。
—————————続く